なお先生のアンテナ

個別指導の塾講師です。教育に関して日々、気づいたこと、シェアしたいことを綴っています。

フィジーから幸せを学ぶ

永崎裕麻さんの

『世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論』

を読み、オンラインセミナーに参加しました。

 

「日々ある幸せに気づこう」というのが、私の今年の新年の抱負でした。

 

実は幸せは身近にあるんじゃない?と思って意識するようにしていた矢先、

 

突然のコロナ休校、外出自粛…。

 

「子供が毎日学校に行ってくれるのは幸せだった」

「自由に外出したり、人と会えることは幸せだった」

と、

 

どれも当たり前が当たり前でなくなると、

否応にも幸せに気づくことができました。

 

そんなこんなで、ちょうど1年の半分が経った

71日にこのお話を聞けたことは意義深い。

幸せとは何か、こんなに考えたことはありませんでした。

 

講演から私が受け取ったメッセージは、

  • 幸せの要素は十人十色。
  • 幸せと感じることができたら幸せ。
  • 幸せは気づいた者勝ち!
  • 幸せは、ゴールでなく、今感じること。
  • 幸せになりたい、じゃなくて、幸せになっちゃえ!

すごくザックリですが…。

内容盛りだくさんの1時間半でした。

 

詳しく聞きたい人は、

次回セミナーがあるので是非。

716()20:0021:30 です!

要申し込み。

https://happykirishima.peatix.com/

 

欲求リストから見つける”私”の幸せ

 

さて、オンライン講演の後、

紹介していただいた

「ヘンリー・マレーの59個の心理的欲求リスト」

https://swingroot.com/murrays-psychogenic-needs/

と向き合ってみた。

(講演中のリストは言葉は少し違ったかも。後で検索したリストです)

 

私にとっての幸せとは何か?のヒントが見つけたかった。

 

自分に当てはまると思う欲求項目を選んで、順位付けしたのがこちら。

 

1.好奇欲求:新しいことや、珍しいことを経験したい

2.自己成長欲求:自分自身を充実、成長させたい

3.援助欲求:弱い人や困っている人の面倒を見たり、世話をしてあげたい

4.理解欲求:モノゴトの因果関係を理解したい

5.自由欲求:誰にも縛られることなく、自由な生活をしたい

6.迷惑回避欲求:人に迷惑をかけないようにしたい

7.安全欲求:身に危険が生じるような、恐ろしいことを避けたい

8.服従欲求:上の人の指示に従って行動したい

 

まず、59個の項目に目を通し、自分がそう思うものに○をつけていった。

 

その時に気づいて驚いたのが、自分に服従欲求がある、ということ。

 

他に類似した欲求で

・恭順欲求:信頼できる指導者に従いたい

・集団貢献欲求:所属している集団のために、全力をつくしたい

・恋愛欲求:好きな人の望みを叶えて、その人から好かれたい

という項目もあったけれど、

どれでも似たような物なので、一番ショックだった「服従欲求」という言葉をランキングに入れた。

 

つまり、私は、誰かに「尽くしたい」と感じているということ。

 

3の「援助欲求(世話したい)」も、立場が違うだけで、「尽くしたい」という気持ちは一緒だ。

 

意外だったのだけど、女性は母性本能というか

このあたりの欲求が結構あるのではないか、と思う。

 

では、なぜこれがショックだったかというと、

夫婦の問題、子育ての問題の根っこは、これなのではないか?と気づいてしまったから。

 

なんだ、私、尽くしたくて家事・育児をやっていたのか。。。

 

子供の世話はやってあげたくてやっていた。

なのに、自分でやりなさい、と言ったり。

 

皆のために家事してあげてるのは自己満足だった。

なのに、感謝されていない、と不平を言ったり、

 

私、最悪!!!

 

と思ったのだ。

 

そして、自分が甘やかした故に

族がダメ人間(言い過ぎか)になったことを嘆くという。

 

完全に自業自得じゃない?

 

そもそも服従したいなら、家族のために料理したり洗濯してあげられることに、

 

不満を抱くんじゃなく満足するべきなんじゃないか!

 

 

人のための時間vs自分のための時間

 

その上、私の欲求リストは、矛盾している。

 

服従欲求と自由欲求が同時にあるのだ。

 

人のために時間を割いたら、自由時間が少なくなるのは当然なのに、

自分の時間が足りない、といつも思う。

 

家事に文句を言われると、指示されたくない、と思う。

 

服従と自由、どちらも満たすことはできないのに、それを求めるという矛盾。

 

これじゃ、いつまでたっても幸せになれない。

 

 

協力するという関係

 

では、どうすればいいか。

 

その前に、似ていると書いた「援助」と「服従」は何が違うのか考えてみた。

 

援助は、立場が下の人に対してしてあげたいと思うこと。

服従は、立場が上の人に対してしてあげたいと思うこと。

 

 

どちらも、上下関係があることに気づく。

 

夫には服従=上の人に尽くしてるっていうイメージ。夫自身は、私が文句言うから自分が下って思っているみたいだけど。

 

子供は、援助=下の人をお世話してるっていうイメージ。でも偉そうな口をきくこともにあるので、子供から見たらママを服従させてるのかも?

 

そう思うと、上下の線引きはあいまい。

 

でも、上下関係って何か嫌だから、対等にできないかな?

 

と考えていたら、

 

「協力欲求」という言葉が目に飛び込んできた。

 

これは、リストに目を通した時には、心に響かずチェックしていなかった項目だ。

 

協力欲求:仕事や活動はみんなで分担して、協力し合いたい

 

これだ!!!!!

 

 

私は、人の役に立ちたい。

 

でも、だれかの指示に従いたいわけでも、わがままを全部聞いてあげたいわけではない。

 

相手の気持ちばかり考えて、相手の期待に応えるということばかりしていると、疲れる。

 

協力するということは、自分の意志で動くこと。

 

やらされてる感とか、上下関係はない。

 

自分の気持ちで動けば、自由でいられる。

 

2つの矛盾した欲求を同時に叶えられるのではないか。

 

「尽くす」というと、自分(時間・お金・労力)を犠牲にしても相手のためにすることというイメージだけど、

 

「協力する」なら自分を犠牲にせず、できる範囲で力を貸す。

 

 

家事は、手伝いでなく、協力!分担!シェア!

 

「やってあげる」「やってもらう」ではない。

 

自分のやりたいこと、できること、をやって助け合う。

 

子供に対しても、お世話してあげるのではなく、本人のやりたい事に協力する。

 

求められた時だけ、私のできる範囲だけ、助ける。

 

 

これからは

「援助欲求」と「服従欲求」を、「協力欲求」に変えていこう。

 

 

分担は迷惑をかけること?

 

でも、なぜ最初に「協力欲求」は私、スルーしてしまったのか。

 

それは、たぶん、「迷惑回避欲求」があるから、「協力」という言葉が響かなかったのだ。

 

親には、人に迷惑をかけてはいけない、と言われて育った。

 

学校や仕事場では、相手(上司や先輩)の懐に入るのが上手な人を見て、私には無理だと思ったし、

 

自分がリーダー的な立場に立った時にも、私は自分でやったほうが早いと思ってしまうタイプで、仕事を振るのが苦手だ。

 

協力欲求:仕事や活動はみんなで分担して、協力し合いたい

 

という項目に対しても、分担したら迷惑なんじゃないか、と無意識に思っていたのだろう。

 

頼るvs頼られる

 

ここで、矛盾その2に気づく。

 

「援助欲求」と「迷惑回避欲求」。

 

助けたい、つまり頼られたいのに、自分は頼りたくないのだ。

 

相互依存、協力し合う関係が、これではできない。

 

全部自分で抱えてしまう。

 

人のことまで抱えてしまう。

 

だから、不満。

 

人に迷惑をかけても良い、と自分にGoサインを出せるようになりたい。

 

フィジーでの依存関係:ケレケレ

 

フィジーには「ケレケレ」という言葉があるそうだ。

 

お願い・ちょうだい・貸して、というような意味で、頻繁に使われる。

 

物の貸し借り、共有、はあたりまえ。

 

個人所有という考え方はあまりなく、

 

相手の物はみんなの物、自分の物はみんなの物、という考えが根付いているそう。

 

ケレケレは英語ではgiving without expectation(見返りを期待せず与えること)

 

この文化が、フィジーの人が世界一幸せと感じられている大きな理由だそうだ。

 

日本にも、おすそ分け文化や見返りを期待しないやり取りはあるが、

 

あくまで家族や友人の中での話。

 

それが、フィジーでは、誰それ構わずケレケレする。

 

出会って5分後でも家でご飯に誘われたり、スーパーでレジの前後に並んだだけでお金を貸す(あげる)ことがあったり、バーで隣に座っただけでビールを勝手に飲んだり。

 

もう一つフィジーと日本の共有で違うのは、

 

フィジーでは、与える側からでなく、受け取る側から、関係がスタートすること。

 

依存することが当たり前で、初対面でも「ケレケレ!」とお願いをする。

 

日本人は、与える側が、どうぞどうぞと勧めることはあっても、

 

受け取る側が先に「これちょうだい」等と言うことはない。

 

他人との境界線があって、図々しいと思われてしまうだろう。

 

 

だから、日本では、フィジーと同じようにすることはなかなか難しいけれど、

 

せめて相手がしてくれるということは、遠慮せずに受け取るとか、

 

私もできるだけ、困ったときは人にお願いしてみたり、

甘え上手になりたいなと思ったのでした。

 

自立=依存!?

 

講演の中で、一番心に響いたのが、

 

「自立=依存先を増やすこと」

 

自立って、一人で立つことかと思っていたし、自立の反対が依存かと思っていた!

 

でも、フィジーのお話を聞いてからだと説得力がある。

 

満員電車の中で立っていられるのと同じことだ、と。頼っても、立てたら大丈夫。

 

そう思ったら、お金がなくても、物がなくても、大丈夫。

 

幸せになれる気がする。

 

というか、友達いっぱいいるから、幸せだ。

 

依存しよう!

 

おさらい。

なんだか難しいことをいっぱい書いてしまいましたが

セミナーの内容をおさらい。

  • 幸せの要素は十人十色。
  • 幸せと感じることができたら幸せ。
  • 幸せは気づいた者勝ち!
  • 幸せは、ゴールでなく、今感じること。
  • 幸せになりたい、じゃなくて、幸せになっちゃえ!

 

ということで、幸せはもうここにある!と気づきました。

 

その後、市の施設に粗大ごみ持ち込みにいったり、

スーパーに買い物に出かけたんですが、

 

「幸せ」と「感謝」を感じまくりました。

 

  • ごみ処理場の職員さん、大変なお仕事ありがとう!
  • スーパーにはこんなに物が揃っている。ありがたい。
  • ほうれん草、安い!幸せ!
  • 車で移動できるってなんて快適!幸せ!
  • (家に帰ってきたら)安心して住める場所があるって幸せ!

 

私、すでに幸せをもっていました。

 

2020年後半、幸せの感度を上げていこう!

 

 

 最後に。

Yumaさんの書籍は、現在ライフハッカーで漫画化され掲載中です。

「南の島の脱力幸福論」

https://www.lifehacker.jp/2020/06/214590the-weakness-of-the-southern-islands-vol1.html

 

1泊2日新感覚バーチャルトリップ(フィジーからZoom生中継)もあるそうです!

http://masato-nakamura.com/%e4%b8%96%e7%95%8c%e4%b8%80%e5%91%a8%e5%ad%a6%e6%a0%a1tabibu/%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%83%8e%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%ab%e6%99%82%e4%bb%a3%e3%81%ae-%e6%96%b0%e6%84%9f%e8%a6%9a%e3%83%90%e3%83%bc%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%ab%e3%83%88%e3%83%aa%e3%83%83%e3%83%97