なお先生のアンテナ

個別指導の塾講師です。教育に関して日々、気づいたこと、シェアしたいことを綴っています。

『本当の「頭のよさ」ってなんだろう』読書感想文

 

よりよく生きるために、10代のうちから知っておくべき考え方を教えてくれる本だった。子どもにも、大人にもためになる。

読書感想文を書いたので、ここに保存しておく。

 

本の概要は以下のとおり。

1章では、頭の良さは勉強だけではない、というメッセージで視野を広げてくれた上で、

2~4章で思春期の悩み(勉強・学校・受験)に対して、主体的に向き合うと楽しくなると教えてくれる。

更に5,6章で、もっと人生を楽しむために読書と没頭体験をおすすめしている。

7,8章で中高生における心の持ち方を優しく指南してくれている。

 

ーーー以下、私の感想ですーーー

 

「広い視野と伝える力」

 

私は塾で小中高の子どもたちに教える仕事をしている。子どもたちは評価を気にする。成績があり、受験がある。どうしても点数や偏差値に一喜一憂する。しかし、社会に出てからは偏差値のようなものさしはない。

 

では、社会における「頭のよさ」とは何なのか。仕事ができる人だろうか。賢そうに話す人だろうか。大人たちも、学生時代の名残で、なんとなく「頭のよさ」には序列があるような気がしてしまうけれど、本当は「頭のよさ」は人と比較できるものではないのではないか。タイトルで齋藤先生の言う「頭のよさ」は「幸せ」を指しているのではないかと私は思った。幸せは、人と比べるものではなく、主観的なものだ。幸せの指標は人によって違うし、誰かが評価するものでもない。私達は「頭がよくなりたい」のではなく「幸せになりたい」のではないだろうか。書店で平積みにされていたこの本のページをめくると、そんな風に感じた。自らの幸せをつかむために中高生のうちに考えておいてほしいメッセージが目に飛び込んできた。

 

中学・高校の時期は、友達間での人間関係がすべてと思いがちだ。齋藤先生の本は、そんな中高生の視野を広げてくれる。しかも、お説教ではなく、読者に考えさせてくれる語り口調なので、頭にすんなり入ってくる。

 

メッセージの一つ、自分で考えることの大切さは、私も子どもたちに伝えていることだ。自分で考えることは楽しい。楽しいからもっと学びたくなる。だから、私の授業では最初から教えない。自分で法則を発見したり、視点を変えて謎が解けたりする楽しさを味わってほしいと思っている。解法パターンを教えてもらうことは効率が良く、受験には最短ルートかもしれないが、つまらない。私自身、中学の時に自分で考える発表中心の授業を受けて、大の数学好きになった。今ではそれを応用して、国語の授業でも思考中心の授業をしている。

 

「視点を変えてみる」ことを子どもの時から習慣づけておくことは、社会に出て自分と違う考えの人に会った時に役立つ。相手の意見を汲んで「それもありかも」と一旦受け取り、検討することが大事だと思う。年を重ねるにつれて自分の考えに固執するようになる人が多い。円滑な人間関係を築ける素地を小さいうちから作りたい。

 

そういう意味では、読書も、自分と違った視点に立つ訓練になる。齋藤先生は、本を読むことの大切さについてもかなりページを割いている。読書においては私は長年習慣化できておらず、この1年程でやっと読書が習慣になりつつある初心者だ。視野を広く持つために、読書の習慣を今後も続けたい。

 

視点を複数持つということは、相手の立場を想像できる「仁」、総合的に判断する「智」、そして判断を実行に移す勇気と行動力「勇」につながる。どれも一人で完結するものではなく、人から信頼される人になるために必要な条件だと思った。

 

ところで、うちには中学3年の息子がいる。思春期の心のモヤモヤや、受験の葛藤を抱えている。親の話は聞かないが人からの話は聞くので、このような本を読んでみてほしいと思った。「思春期だからと甘えるな」「不機嫌は環境破壊」と読んだら、自分を俯瞰して何か気づくだろうか。他にも、「とりあえずやってみる」「やりすごすことも覚える」「読書して自分の体験を増やす」など中3に読んでもらいたい内容が沢山あった。「あれもいやだ、これもいやだ」は思春期には仕方ないと思ったていたけれど、齋藤先生の言うように「あれもいい、これもいい」と思ってみてほしい。

 

同時に、この本を私自身が読んでみると、大人にもとても参考になる本だと分かった。いわゆる「非認知能力」は子どもの教育において注目されているが、大人にも必要、いや大人にこそ必要なのだ。齋藤先生は「頭のよさ」は勉強ができることではなく、社会に適応できること、とした上で、学ぶことがもともと嫌いな人はいません、と言い切っている。これには全く同感だ。多くの人は、小学校低学年くらいまでは新しいことを知るのが楽しいが、中高生時代に試験を中心とした勉強を強いられて、学ぶことが嫌いになる。そして社会人になってから、「学生のうちに学んでおけばよかった」と資格勉強や英語の学び直しをする。中高生の時に、学ぶのが好きなままでいられると良い。私は、学ぶのは楽しいことを今後も中高生に伝えたい。

 

しかし、私は伝えるのが下手だと思う。対して、齋藤先生の本はわかりやすく、とても説得力がある。たとえば、私はこの本を読んで古典や哲学の面白味を初めて感じることができた。今までの読書は、自分の興味分野だけで偏りがあったことを感じる。孫子の兵法、ソクラテスについての本など、手にとって見てみたい。

私も学生時代には、自分の好みに関わらず幅広い分野の学問や書物にふれたはずなのに、古典や哲学には退屈なイメージしかなかった。が、なぜ今興味を持ったか。それは、齋藤先生が、内容だけでなく魅力も分かりやすく伝えてくれるからだ。子どもたちの「面白い!」につなげるには、分かりやすさが不可欠だ。子どもにも分かりやすい言葉は、大人にも分かりやすい。私も、知識を教えるだけでなく、もっともっと面白味をわかりやすく伝えられる人になりたい、という気持ちがむくむくと湧いてきた。

 

最後に、齋藤先生のように人に分かりやすく伝えられる人になるために、どうすればいいか。2つ考えた。

1つは、読書量を増やすこと。良質な文章に触れて語彙力を増やし、幅位広いジャンルの本を読んで世界を広げる。

もう1つは、自分らしい戦術を見つけること。たとえば、私は話すことが苦手で、相対的に書くことのほうが得意だ。だから、書くことを通じてアウトプットの練習をし、人から意見をもらうことを繰り返して、よりわかりやすく伝える力を身につけたい。

 

大人も子どもも、それぞれに幸せな人生を送るために、それぞれに合った方法で、視野を広め、伝える力を磨いていくと良いのではないだろうか。