私のものさし
■私のものさし"で"問うのではなく、私のものさし"を"問うのです
先日、前野隆司先生の開発した
ウェルビーングカードを使った
オンライン対話会に参加し、
「人に優しく」あるためにすることについて
考えていた時のことです。
参加者の方から、この言葉を教えていただきました。
「私のものさし"で"問うのではなく、
私のものさし"を"問うのです」
通りかかったお寺の掲示板に
書かれていた言葉だそうです。
私、"私のものさしで"判断してるかも…
自分の基準で、
他人がおかしいなと思ったり、
イラッとしてしまったり、と
身に覚えがあります。
知らない誰かが言ってることも、
家族の発言にも。
他の人の言動に疑問を感じた時は、
この言葉を思い出して
我が身を振り返り、
相手を尊重する気持ちを
取り戻したいと思いました。
■価値観の違いが浮き彫りになりやすい時代
これは特に、コロナ禍の今こそ心に留めておきたい言葉だなと思います。
日々変化する情報が飛び交い、
何が正しいのか皆分からず、
何を正しいと信じるかで、
価値観の違いが浮き彫りになっています。
自粛する人は外出する人はおかしいと言い、
楽観的な人は自粛は大げさだと言う。
さらに最近は、自粛警察ならぬ
不織布マスク警察もいるそうですね。
以前は無視できていた価値観の違いも、
非常事態には、
社会のためという正義感や
自分の命に関わる恐怖から
つい、自分のものさしで人を判断しがちなのではないでしょうか。
私が思うには、
ある信念を信じて
自分が行動したり
自分の意見を伝えるのはOK。
でも、
自分は自分。
人は人。
人の行動まで強制するのは
無理があるのでは?
行動は相手の自由だと思うのです。
「私のものさしで問う」
をやっていないか、
注意したいものです。
■私のものさしで問うとは?
しかし、そもそも、
「私のものさし」
を持つことは良いことのはず。
〇〇警察の人だって、
自分の意見をもっているから
発信するのです。
世の中には
「私のものさしで問う」ことすら
できていない人は多いです。
周りの意見にすぐ流されたり、
入ってきた情報を鵜呑みにしたり
してしまう人って、とても多いです。
「私のものさし"で"問うのではなく、
私のものさし"を"問うのです」は、
私のものさし(自分の意見・価値観)
を持った上で、
次のレベルを目指す
高度なことなのですね。
レベル0 他人のものさしを鵜呑みにする
↓
レベル1 私のものさし"で"問う
↓
レベル2 私のものさし"を"問う
まずはレベル1へ。
私のものさしを持つこと!
■私のものさしを問うとは?
その上で、レベル2
「私のものさしを問う」
つまり
自分の意見を絶対だと思わないためには
どうすればいいか、
考えてみました。
・「ほんとにそう?」と疑ってみる。
・相手の行動には理由がある。「なぜこれをするんだろう?」と考える。
・多様な意見に耳を傾ける。他の情報源から情報を仕入れる。
・意見が違う人と会話をする。
・俯瞰する。一部でなく全体を見てみる。
日々、意識していますでしょうか。
意識しているつもりでも、
自分視点に固執してしまう時がありますね。
特に、何かを言われて
瞬時に、カチン!ときた時は、
判断が難しくなります。
そういう時は、
・一呼吸置く
とか
・その場を離れる
ということも、客観的になれるきっかけになったりします。
アンガーマネージメントでも
そんなことを言ってるはず。
(ちゃんと学んだことないけれど)
私は最近日々こういうことを考えていて、
人に何か言われても、
以前より冷静にいられるように
なった気がします。
■その先に何があるか
では、
レベル2「私のものさし"を"問う」
をすると、どうなるか。
他人のものさしを理解し、
自分の考えを変えるきっかけに
なるかもしれないし、
新たな第三案が作れるかもしれないし、
やっぱり自分は自分、
相手は相手と思うかもしれない。
いずれにしても、
レベル0(他人のものさし)に
戻るのではなく、
さらに上のレベル3
「私のものさしと相手のものさしを知った上で、判断する」
という、より高度で包括的な考え方ができるようになるでしょう。
それが、相手への優しさでもあるかな
と思います。
優しさとは、
自分の意見を殺して相手に合わせることでもなく、
自分の意見を通すことでもない。
相手の違いを認めた上で、
お互いに心地よい関係を築く
それが優しさじゃないかな、
と思います。